【ワダサカ論】vol.22

Vol.22 『通訳』の難しさ

 

サッカーを仕事にすると考えた時、選手はもちろんコーチやチームスタッフ、フロントスタッフがパッと出てくると思いますが、『通訳』という関わり方もあります。

私はブランメル仙台(現ベガルタ仙台)、名古屋グランパス、ベガルタ仙台でブランコ・エルスナー氏、ズデンコ・ベルデニック氏(vol.5参照 )、ミロシュ・ルス氏(1997年よりブランメル仙台のGKコーチに就任。シーズン中に監督のエルスナー氏が辞任したため監督に就任。後に横浜FCでも監督を務めた)の下で監督通訳を務めました。

 

三氏とも私がスロベニアのコーチングスクールに通っていた時の教官で、特にベルデニック氏は私の身元引受人のような形で公私に亘り、お世話になりました。

スロベニアに限らず旧ユーゴスラビアの人々は外国語が得意ですが、三氏の母国語のスロベニア語を話せること、スロベニアのコーチングスクールや代表チームの活動を通して三氏と知り合いで、彼らのサッカー観をある程度理解していたこともあって私のところへ通訳就任の話が来ました。私は、スロベニアで学んでいた時に日本からサッカー関係者が来た時はプライベートな会話の通訳をしたことはありましたが、仕事として通訳をするのは初めてでした。

 

当時、通訳をする上で困ったのはサッカー用語の訳でした。訳しにくい言葉、日本語に無い言葉などがあり、どう言えば選手たちにキチンと通じるか悩みました。

前述したように三氏の下で学んでいたので、ある程度彼らの考えを理解していましたが、それでも訳に困ることもありました。特に練習、試合中は素早く訳さなければなりません。

『言葉』というよりも監督の『意図』を速く正確に伝えられるかがポイントです。これはなかなか上手くいきませんでした。

また、監督が怒った時にどう訳すかも難しいところでした。直訳するととんでもない暴言になりかねないとか、日本語にそのまま訳すと意図が伝わらないようなときは本当に困りました。

ただ、なんといっても通訳する上で一番難しいのは「ジョーク」ですね。話している本人が楽しそうなのに、それを上手く訳せなかった時は恥ずかしかったです。

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日本にはスロベニア語を理解できる人がほとんどいなかったので助かりましたが、失敗や誤訳もたくさんありました。

会見の第一声で、声が小さくて聞こえませんと言われたこともありました。

またベガルタ仙台時代には夕方のニュースに生出演してほしいという依頼もありました。スケジュール的に難しかったので収録なら可能ということになり、スタジオで収録になりました。

当時、監督だったベルデニック氏が長めの話をしました。他の取材でも似たようなことを聞かれることが多いので、その先の回答まで分かるくらいの話でしたが、ベルデニック氏の話しが終わり、さあ通訳となったら見事に内容が全て吹っ飛んでしまって、全く訳せなくなってしまいました。皆さん優しくて雰囲気が悪くなることもなく撮り直しとなりましたが、最初の予定通りに生出演だったら危なかったですね。

 

あと、忘れられないのがエルスナー氏の監督通訳をしていた時のことです。

同じような質問が続いたときに「同じような内容だし、私が答えましょうか?」とエルスナー氏に聞きました。するとエルスナー氏は「その必要はない。聞かれたことを伝えろ」と言いました。(監督にとって意味の分からない質問であったとしても)記者の方も聞いている監督ではなく通訳に答えられるのは不本意ですし、失礼なことだと改めて学びました。

通訳を志す方は気を付けてくださいね。

 

次回も通訳について書きたいと思います。