【ワダサカ論】vol.41

Vol.41 スロベニアにおける指導者養成システム

 

 

前回に引き続き、私がスロベニアのコーチングスクールで学んでいた時の話をしたいと思います。

 

旧ユーゴスラビアでは、指導者ライセンスを取得するのに、「体育大学を卒業」「コーチングスクールを終了」という2つの道がありました。

大学とサッカー協会が協力しながらライセンス発給をしていて、コーチングスクールの講師の中にも大学教授がたくさんいましたし、代表チームでの指導経験がある大学教授などもいました。

保護者世代の方の中にはご存じの方もいるかもしれませんが、ベルデニック、エルスナー両氏ともサッカー指導者でありながら同時に大学の先生でした。

 

旧ユーゴスラビアの特徴は、大学の先生でもサッカーの現場に出て、理論と実践の両方を経験することができる研究・指導システムにあったと思います。

数年間、先生としての職を休職してクラブチームで指揮を執り、また大学に戻って指導の研究をするという事が許されていました。

ベルデニック氏もJリーグが発足する直前の全日空(後の横浜フリューゲルス。1999年消滅)で加茂 周監督(この後に日本代表監督へ就任)のコーチを務めた後、帰国して大学で教鞭をとりながらコーチングスクールの責任者も務め、代表チーム監督も兼任していました。エルスナー氏(1997年にブランメル仙台[現 ベガルタ仙台]の監督を務めた)はオーストリアのクラブで結果を残したことで、ドイツの名門FCバイエルン・ミュンヘンからオファーを受けたのですが、大学に戻る約束をしていたためオファーを断ったという話を聞いたことがあります。

 

当時から旧ユーゴスラビアの指導者は高い評価を受けていましたが、国を挙げての指導者養成の質が高かったためと言われていました。

 

旧ユーゴスラビアの指導者養成システムは、理論と実践の融合を試みた素晴らしいものだったと思います。残念ながら現在では、UEFAの指示によって、各国のサッカー協会がライセンスコースを運営するようになっているため、指導者養成の部分に大学が関わることは減少しています。

また、資本主義システムに加わったことで「みんなのために何かをしてくれる人」がいなくなったという話を聞きます。昔に比べて、自分のことばかり考える人が多くなっているのです。私がスロベニアにいた頃は、まだ旧ユーゴスラビア体制の影響が色濃く残っていました。独立直後というタイミングであり、自国を盛り上げる、勇気づけるという意味でもサッカー界全体のために皆が協力し合うという意識が非常に強かったと思います。

スロベニアが独立から約10年という早さで、ヨーロッパ選手権とW杯の出場という結果を残したのは、独立直後からいち早く指導者養成システムを整備した結果と言えます。

 

スロベニアのコーチングスクールでは、基本的に午前中に実技、午後は講義という流れで1月と6月のシーズンオフ期間を利用して開催されていました。指導実践の授業で、私はウォーミングアップを担当することになり、しっかり事前準備をして緊張しながら本番の日を迎えたところ、土壇場になって貴重な実践の場を講師に奪われるといったハプニングもありましたが、本当に充実した日々でした。