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【ワダサカ論】vol.3
vol.3 スロベニア語は難しい?! スロベニアはスポーツが強い国??
前回、書いたスロベニア語について続けたいと思います。
スロベニア語の文法は、英語に比べて複雑です。
名詞は男性、中性、女性の3つあり、それが文章内での役割によって、6通りの語尾変化をします。これは人名も例外ではなく、語尾がその都度変化します。
渡航前に送られてきた受け入れ許可証の名前が「Haruo Wada」ではなく「Harua Wade」になっていた時は、なんていい加減な国だと呆れましたが、間違えている訳ではなかったのです。
私が1番面白いと思うのは『両数形』の存在です。両数形とは、2つの物(人)を表す形です。
例えば、本はknjiga(クニーガ)と言いますが、一冊だとknjiga、2冊だとknjigi、3冊以上だとknjigeとなります。そして、これがまたそれぞれに語尾変化していきます。これを全て組み合わせるとかなりの数になりますね。
あまりの多さに両数形はなくてもいいのではないかと当時は思っていました。
スロベニア語の話はこれくらいにして、スポーツ・サッカーの話に入りましょう。
スロベニアは第二次世界大戦後、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の構成国の1つでした。ユーゴスラビアは「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字を持つ1つの国家」といわれ、非常に多様性に富んだ国だったようです。ソビエト連邦よりも自由があり、労働者が経営面で意見を言える『自主管理社会主義』を導入するなど他の社会主義国とは違う側面を持ち、西側諸国とも交流がありました。
余談ですがユーゴスラビアのパスポートは、西側諸国にも東側諸国にも行ける貴重な存在だった(冷戦により、世界各国が東側諸国、西側諸国に分断されていた影響で、東側諸国の人々が西側諸国にビザ無しでは簡単に行けなかった)ので、当時は高値で売られていたらしいです。
スポーツ、特にサッカーにおいて旧ユーゴスラビアは「東欧のブラジル」と呼ばれ、ヨーロッパ各国に選手を送り出していました。テクニックに優れた選手が多く、ドイツ・イタリア・スペイン・フランスなどで多くの選手が活躍していました。
サッカー以外にもハンドボール・バスケットボール・水球などは世界屈指の強豪国としてその名を知られていました。
彼らはチームでのボールゲーム、それも敵味方が入り混じるボールゲームが得意なのです。旧ユーゴスラビアの人々は体格、運動能力に恵まれている事もありますが、一番の理由は、そのゲーム感覚・アイデアにあると思います。彼らは限られた時間、空間の中で瞬時に正しい判断ができ、時には見ている人の想像を上回るような解決策を見つけることができるのです。そして、それを実現させる正確な技術を兼ね備えています。
それは、「ヨーロッパの火薬庫」と言われた複雑な政治的環境下で暮らし、様々な民族の支配下で、多民族が共存してきた歴史も影響していると言えるでしょう。ユーゴスラビア時代は常に決断を迫られ、生き抜くために相手の裏をかく必要があったと友人から聞いたことがあります。良い悪いは別として、結果的にはサッカー・ボールゲーム全般に必要なものを生活の中で学び取っていたのです。
(続)