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【ワダサカ論】vol.27

Vol.27 スポーツと教育の分離

 

 

前回、日本とヨーロッパにおける『サッカー文化』の違いについて書きましたが、今回はどうすれば日本にサッカーが文化として今以上に定着するのか、考えていきたいと思います。

 

 

日本の場合、サッカーだけではなくスポーツ全体の問題と言えます。ここではサッカーを中心に書きますが、おそらく他競技にも同じことが当てはまると思います。

日本ではスポーツを体育、つまり学校教育の一環として行い、競技スポーツも部活動という形で教育の中に組み込まれました。

私は、日本の学校教育の目的が「上(学校であれば先生、社会に出たら上司)の言う事を聞き、与えられた課題を速く正確に解決できる人間の育成」だと思っています。

その中では集団行動、規律、命令系統が不可欠で、上(先生、上司)からの命令に対し、逆らうことは基本的には許されません。

集団行動や規律が不要という事ではありません。集団の中で活動する以上、当然必要ですし、ある程度は上の指示に従うのは組織の活動においては必要です。

日本の学校教育の全てが悪いという事でもありませんし、スポーツに教育的側面があるのも事実です。ただ本来のスポーツの姿を考えた時に、これは良くないと思う面が多いということも否定できません。

 

例えば楽しさ、自発性、自分で考えて工夫するといったスポーツの好ましい側面が部活動には欠けていると思います。あまりにも規律、従順さに重きを置くことが前面に出ているのではないでしょうか?

スポーツに限らず、どの分野でも楽しくないことを続けようとは大人でも思わないですし、子供たちならばなおさらです。続ける人が少なければ当然文化として定着することはありません。

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日本の現状を踏まえると普及、文化としての定着のためには、「スポーツと教育の分離」を進めることが必要だと思います。

サッカー界では以前に比べ、クラブユースやサッカースクールなど学校以外での活動の場が増えてきていますが、それでもまだ十分とは言えません。

確かに競技レベルの強化という面で、部活動が果たしている役割は無視できませんが、スポーツ文化の定着に絞って考えると、より一層分離を進めていかなければならないと思います。

学校の教員が指導者、生徒が選手としてやるわけですから、学校での上下関係をそのまま持ち込むことになります。

先生方は必ずしもスポーツ指導者としての専門的教育を受けている訳ではありませんし、「学校」という社会での関係性を考えると教育的な側面が強くなり過ぎる、競技的成果を求め過ぎるといった問題が生まれやすくなります。

知名度アップ、生徒獲得の一環として、部活動の強化を図る学校もあります。そうなると休みもほぼ無く、毎日長時間練習するという状況も多く生まれます。

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もう一つの問題は、他校の部活へ移籍ができない、できたとしても非常に難しいという事です。

部活動に限らずですが、集団である以上なじめない人も出てきます。

それは仕方のないことだと思いますが、何か問題や不満が生まれたとしても移籍ができないので、自分の気持ちを押し殺して活動を続けるか、部活動を辞めるという選択肢しかない事になります。そのような精神状態では、その競技自体が嫌いになる可能性もありますし、仮に活動を続けたとしても卒業と同時にスポーツを辞める可能性が高くなるのではないでしょうか?

部活動を外部のスポーツクラブに移行したら、今より良くなる部分ももちろんあると思いますが全てが解決する訳ではありません。

 

最終的には我々一人一人の「考え方」を変えなければなりません。

 

 

次回は、我々一人一人の「考え方」のどこを変えていくべきなのか、私なりの考えを書いていきます。