【サッカーの続け方】
清水一平(東京ヴェルディフットサルチーム)

選手として「プロ」という職業に向かい合い、5年に渡り海外でプレーし、現在は企業に勤めながら東京ヴェルディフットサルチームに所属する清水一平選手。選手として「サッカーで飯を食う」こととは?

清水一平(しみず いっぺい)

1989年1月11日生まれ、東京都調布市出身。国士館高校卒業後にプロを目指しJAPANサッカーカレッジのサッカー専攻科に。FC鈴鹿ランポーレから国内チームでプレーの後、2015年から海外のカンボジア、ラオス、タイ、オーストラリアでプレーし、昨年帰国。8月から東京ヴェルディフットサルチームとして活動を続けながら、株式会社トリデンテに勤務している。サッカー×人×地域を繋ぐwebサイト「チキサカ」を運営。

追求したのはJリーガーではなく“プロサッカー選手”であること

-高校卒業後の進路については?

「絶対に『プロになる』という思いが強かったです。サッカーに集中できる環境として、母親がJAPANサッカーカレッジ(JSC)を薦めてくれました。JSCではシンガポールへのインターンシップに行き、プロ選手などレベルの高い選手とプレーすることで大きな刺激を受けました。サッカーを通じて本当に多くの出会いを経験させてもらい、JSCには感謝しています」

-プロを目指し、その後はどのような活動を?

「僕は何事も調べあげてから行動するタイプなので、J2から全国の地域リーグまでライバルとなるポジションの選手一覧表を作成しました。そこから自分の実力を客観視し、現実的に通用するチームのセレクションを受けました。その後いくつかのJリーグを目指すチームでプレーしましたが、愛媛FCしまなみ(現・FC今治)に入った後に、前十字靭帯のケガを負ってしまいました」

-プロを目指すことに迷いは?

「もともと、僕はJリーグという“華やかな世界”を思い描いていたんです。でも現実を知り、自分を見つめ直したことで、僕が目指しているのはJリーガーではなく“プロサッカー選手”であることに気づいたんです。5年間やってきて、自分には日本にその環境がないことを知り、サッカーで飯を食うために、即戦力として雇ってくれる東南アジアに活動の場所を移したんです」

東南アジア、オーストラリアでプレーした清水選手。チームに溶け込むために言語習得の努力を欠かさなかった。

-必要とされる環境が海外だったと。

「2018年に3度目の前十字靭帯のケガを負った時、現在勤めている会社の社長に声をかけていただき、選手生活を続けながらも、初めてサッカー選手以外の仕事に真剣に向き合うことができました。2020年の7月から日本で社員として働いていますが、仕事を通じてヴェルディのフットサルチームにお誘いをいただき、今は仕事と並行してプレーを続けています。サッカーが導いてくれた出会いに感謝しています」

高校生へのアドバイス

「勇気は一瞬、覚悟は一生」どれだけ覚悟を持てるか
「高校3年間で試合に出られなくても、環境が変われば評価してくれる人は必ずいます。狭い視野で物事を考えないでほしいです。サッカーは思った以上に広い世界があり、次のステップに進める環境はたくさんあります。僕は『勇気は一瞬、覚悟は一生』と思っていて、好きなサッカーを続ける覚悟を持てるなら、続けるべきだと思います」

ある1週間のスケジュール

早朝ジム、10時~19時勤務
9時~18時勤務後にフットサル練習
9時~18時勤務後にフットサル練習
早朝ジム、10時~19時勤務
9時~18時勤務後にフットサル練習
土・日 フットサル試合(試合がない日はオフ)
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