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【ワダサカ論】vol.21

Vol.21  外国籍選手

 

Jリーグが始まって27年が経ちました。Jリーグ初期の頃からジーコ(元鹿島アントラーズ所属。日本代表監督も務め、母国ブラジルでは「サッカーの神様」と呼ばれる国民的スーパースター)やストイコビッチ(元名古屋グランパス所属。現役時代「ピクシー」の愛称で呼ばれた)、リトバルスキー(元ジェフユナイテッド市原・千葉所属。西ドイツ代表としてW杯優勝を経験し、横浜FCやアビスパ福岡で監督を務めた)、リネカー(元名古屋グランパス所属。1986年メキシコW杯得点王)など外国籍選手が活躍し、日本サッカーの成長に多大な貢献をしてくれました。

現在と同様に、当時もブラジルから多くの選手が来日しました。与那城ジョージさん(読売サッカークラブ:現東京ヴェルディで活躍。FC琉球やJ.FC MIYAZAKIの監督を務めた)やラモス瑠偉さん(読売サッカークラブ:現東京ヴェルディで活躍。Jリーグ初期のスーパースター)のように帰化して日本代表としてプレーした方もいました。

 

Jリーグが始まってからは様々な国籍の選手がプレーしていますが、今でもブラジル人選手が圧倒的に多いです。最近でこそイニエスタ選手などスペインの選手、指導者が増えていますが、これまでは西ヨーロッパの選手は比較的少なく、旧ユーゴスラビアをはじめとする東欧圏の選手が多かったと思います。

西ヨーロッパの選手は自国のリーグで競技面、報酬面で満足できる環境があるため、それほど日本に興味を示しませんでした。一方で東欧圏の選手は、ブラジルの選手と同じように自国のリーグで活躍し、国外に出ることが経済的な面で大きな目標の一つだったので、日本へ来ることにそれほど抵抗が少なかったことが理由だと思います。

 

近年はJリーグでも外国籍選手登録枠、出場枠が拡大したこともあり、ヨーロッパほどではないですが、チームに占める外国籍選手の数も増えました。

最近のヴィッセル神戸ではスターティングメンバーの半数近くが外国籍選手という現象も起きました。

サッカー界ではボスマン判決(※)をきっかけに、選手の移籍が世界中で信じられないほど盛んになっています。

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違う環境、違う文化で育った選手が入ることで新しい考え方、新しいプレーがもたらされます。

異なる考え方が同時に存在する以上、一定の割合で軋轢も起こりますが、双方が敬意をもっていればより良いものが生み出される可能性が高いと思います。

実際に日本のサッカーも多くの国の選手や監督たちの考えや文化を取り入れることで進化してきました。

 

外国籍選手が活躍するにはいくつかの問題を解決しなければなりません。

まずは日本の環境に慣れてもらうことが重要です。生活に馴染めなければどんなに優れた選手でも活躍することは難しいです。

日本でプレーする場合、外国籍選手には『言葉の問題』が必ず起きます。

例えばブラジル人選手がヨーロッパに移籍したとします。ブラジルでは「ポルトガル語」が公用語なのでポルトガルでは言葉通じます。スペイン語もポルトガル語と非常に似ています。英語、ドイツ語などは異なりますが、それでも日本語と比べたら適応は容易です。

 

もちろん言葉だけではありませんが、言葉が理解できるかどうかは、外国のサッカー環境で活躍するためには非常に重要です。

周りの人が何を言っているのか全く分からない、街中の文字も全く分からない、文化も大きく異なる、そんな環境で良いプレーすることはまず不可能です。

日本に来る外国籍選手の多くは、程度は違えどそのような環境に置かれます。海外へ挑戦する日本人選手にも同じことが言えます。

そこで【通訳】と呼ばれる人間が必要になります。

次回は意外と知られていない通訳の仕事について書きたいと思います。

 


1990年代半ばにヨーロッパのサッカーを根底から変えたEUの欧州司法裁判所が下した判決。

 ①EU各国のリーグに設けられていた外国籍選手制限が、EU内の選手に限り撤廃

 ②契約満了後の移籍金の撤廃

が定められ、ビッグクラブによるスーパースター獲得の過熱、移籍金の高騰、ビッグクラブと他クラブの戦力格差の拡大を引き起こした。