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【ワダサカ論】vol.30

Vol.30 “プロ”チームの難しさ

 

 

前回、私がブランメル仙台(現ベガルタ仙台)で通訳兼コーチとして所属していた時の話をしました。その時は、シーズン中2度の監督交代や財政面でもクラブ存続の危機に陥いるという【上手くいかないクラブ】の状態でした。今から20年以上前の話ですが、もしかしたら根本的な問題は、今も変わっていないのかもしれません。

今回は当時を振り返って何が問題だったのか述べていきたいと思います。

 

 

まず、なんといっても仙台にプロスポーツの歴史が無かったことだと思います。日本全体を見てもJリーグでさえ誕生したばかりでしたから、これは仕方のない面もあります。

しかし、当時Jリーグ昇格を争っていたチームは実業団として活動していた実績もあり、組織としてもある程度トップレベルでの経験のあるチームが多かったのです。

今思えば、この差は想像以上に大きかったと思います。

まずプロチームを創設して、一から組織・チームを作っていくのと、組織がある程度出来上っている中でプロチームへ移行するのでは、後者の方がスムーズにいくのは明らかです。当時のブランメル仙台は前者であり、クラブ全体のマネジメントという部分でかなり遅れていました。

チームのメンバー構成にも問題があったと思います。選手補強は積極的にやっていました(元西ドイツ代表の市原で活躍したリトバルスキーや、元日本代表の松永成立、他Jリーグ経験者等多数)が、計画性とその妥当性という点では十分なものではなかったと考えます。

また、ブランメル仙台は東北電力サッカー部が母体とはいえ、そこから多くの選手が加入した訳でもなく、アマチュア時代のチームから受け継がれたクラブ文化のようなものは、実質ありませんでした。

このような状況ですから、冷静に考えればすぐにJリーグ入りを目指すというのは無謀だと理解できるはずですし、クラブの中にはそう考えていた方も沢山居たと思います。あくまで推測ですが、現実的な意見(時間を掛けてJリーグ入りを目指す)を許さない空気が今に思えばクラブ内にあったと思います。

クラブ内の意思だけではなく、スポンサーや自治体の意向も当然ありますから難しい面もあったと思います。

ですがクラブ内の決定権を持った人間(おそらく社長ということになるでしょう)が冷静に判断し、より現実的な昇格プランを提示する方が良かったと今考えると思いますが、その判断というのは多くの意向や思惑が絡むので非常に難しいところでもあります。

 

ヨーロッパであらゆるカテゴリーの指導経験があり、指導者養成の責任者も務めていたエルスナー氏を招聘したのであれば、もっとクラブ全体の指揮を執ってもらう形を構築するのがクラブにとってはより合理的かつ効果的だったと思います。彼はヨーロッパのサッカーがプロ化していく過程を体験していました。

その意味では、エルスナー氏は当時のブランメル仙台にはうってつけの人材だったと思います。ただ、残念ながら我々がエルスナー氏の経験や知識を生かす術を持っていなかったのです。

 

サッカーに限らずですが、分野の専門外の方が社長、あるいは決定権を握る立場についた場合、専門家を呼んで意見を聞くことが重要だと思いますが、実際にはそのような体制をとる方は多くありません。「ビジネスもスポーツも同じだ」と自信満々に自説を説きますが、上手くいかないことが多い印象です。

ブランメル仙台、そしてベガルタ仙台へと変わった後もその傾向は強いと感じていますし、実際にトップチームコーチ兼通訳として数年後ベガルタ仙台に再び所属した時には、よりその傾向を強く感じました。

 

 

あくまでクラブの一部分しか見ていない私の考えですから様々な反論等あるとは思いますが、長期に渡る安定感を得るには、各分野の専門家を適切に配置し、その意見を尊重し、各自の役割を明確にした組織作りが必要だと思います。

そしてスタッフを信頼し、意見を尊重しながらリーダーシップを発揮する社長の存在が不可欠です。各自が努力しても、やはりトップが責任感を持ち、適切な(ここが重要です)リーダーシップを発揮しなければ組織として上手く機能しないのは間違いないと思います。