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【ワダサカ論】vol.31

Vol.31 ビッグクラブ故の困難

 

 

前回に引き続き、サッカークラブの在り方について考えていきたいと思います。

 

私はこれまで、名古屋グランパスに2回在籍していました。

最初は1999年に育成普及部コーチとしてでした。2度目は、2002~2003年8月で、この時は私の師であるベルデニック氏がトップチーム監督ということもあり、私はコーチ兼通訳として在籍しました。

2度目は通訳を務めていたので、様々な方と話をする機会がありましたし、今振り返るとクラブの在り方についても学べた良い機会でした。

皆さんもご存じの通り、名古屋グランパスはトヨタ自動車がメインスポンサーです。予算規模も大きく、経済的側面を見れば日本有数のビッグクラブです。ですが、私が在籍していた頃は、投資した金額に見合う結果がなかなか出ていなかったのも事実でした。

 

ヨーロッパでは、一般的に投資額と結果がある程度比例します。なのでクラブとしての目標が立てやすいですし、結果に対する評価もしやすいのです。日本ではまだまだこの面で遅れているかもしれません。当時のグランパスはまさにその一例だと思います。

ただ、ヨーロッパのようにクラブ資金力がそのまま成績に出ない、順位予測が難しいというところがJリーグの良さ・おもしろさでもあると思いますので、どちらが良いかというのは一概に言えないです。

 

当時グランパスが潤沢な資金力を持ちながら、なかなか結果に繋がらなかった理由としていくつか原因があったように感じていました。

前回、書いたブランメル仙台(現ベガルタ仙台)と通じるところもありますが、グランパスは、物理的に一つにまとまることが難しいクラブだったと思います。クラブ事務所は名古屋市内、練習場は豊田市と、部署毎にバラバラで、かつトヨタ自動車の社員、グランパスの社員・契約社員など様々な立場の方が混在していました。特に事務所と練習場が離れている状態はクラブ運営において大きく影響を及ぼしたと思います。同じクラブのフロントスタッフと現場スタッフが、お互い何をしているか分からない、人によってはお互いの顔も知らないということもありました。

2010年にグランパスがJリーグで初優勝した時には、ピクシー(ストイコビッチ氏の名称)が監督で、彼はチームのレジェンドということもあり、ピクシーを中心にクラブが1つになっていたのだと思います。

ビッグクラブでは、ピクシーの様にクラブに一体感をもたらす圧倒的な存在(カリスマ)が必要なのかもしれません。

 

日本でビッグクラブと言うと必ず名前が出てくる浦和レッズもブッフバルト氏(元西ドイツ代表。現役時代にも浦和に所属。2006年に監督として浦和をリーグ初優勝に導いた)、ペトロビッチ氏(現コンサドーレ札幌監督。2016年に浦和でルヴァン杯優勝)の両監督が務めていた時は、一体感・成績面の両方を満たしていましたが、それ以外の時については、どこかちぐはぐな感じがあるように私からは見えていました。

 

もう一つの問題としては、潤沢な資金がある故に、上手く使うことが難しいことだと思います。

資金が豊富にあるクラブには、選手代理人からの売り込みや移籍仲介業者など外部から多くの人が集まってきます。中にはクラブのためでなく、自分のために近づいてくる人もいるでしょう。そこを上手にコントロールできず逆に利用されてしまうという、潤沢な資金があるクラブだからこその苦労も多かったように感じました。

クラブの目指すもの・ビジョンのために戦略を立て、資金を上手くコントロール・活用できるような組織体制・役割分担、共通認識を持つことの重要性を、今は改めて感じています。

 

 

大きなスポンサーを持っているビッグクラブ特有の困難や苦労、問題があるということを実感した在籍期間でした。

もちろん、どのクラブでもクラブが抱える問題が一つという事はあり得ないですし、あくまで私の主観ですから違う意見もあるでしょう。これはJリーグクラブがこれまで抱えてきた問題のひとつの側面だと思います。

 

 

お金は潤沢にある、スタッフも沢山いる、そのようにかなり恵まれた状況でも、一体感が欠けている、組織体制・役割分担が適切に構築できていない組織だと【上手くいかないクラブ】になってしまう可能性があるのです。