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【ワダサカ論】vol.32

Vol.32 【上手くいくクラブ】

 

 

クラブの在り方を考える第3回目は、2005年から2008年まで在籍したガンバ大阪です。私のキャリアの中でクラブとして一番良く機能していましたし、競技面でも素晴らしい成績を残すことができました。

【上手くいくクラブ】状態だったガンバ大阪が、他のクラブとどのように違ったのか書いていきます。

 

 

ガンバ大阪がベガルタ仙台や名古屋グランパスと異なっていたのは、クラブ機能が一か所に集中していたという点です。ガンバでは育成部門・フロント・トップといった各部署が全て同じ所に集約されており、それぞれお互いが何をしているか分かりますし、かつ違う部署の方とも話をすることが多かったと思います。

当たり前のように思えることですが、各部署が一か所に集まっているクラブというのは意外と少ないのではないでしょうか?各部署が集まることで、クラブとして一体感が生まれやすいですし、クラブからの後押しをされているという実感を現場は強く感じられました。

 

私が在籍していた頃の社長は、現場のスタッフにもよく声を掛けてくださり、サポーターからの人気も絶大な方でした。ファン感謝祭の時には、サポーターから名前入りのユニフォームをプレゼントされていた記憶があります。ただ人気があるだけでなく、先を見据えた判断のできる方でもありました。当時の西野朗(2018年ロシアW杯日本代表監督。現タイ代表監督)監督を信頼し、現場のことは任せていました。私がガンバに在籍する以前のシーズン、思うような結果が出なくても「やっているサッカーは間違っていない」という判断で、社長は西野監督の続投を決めたそうです。

 

この判断が、数年後にガンバ大阪が数々のタイトルを獲得する黄金時代を迎える基盤となったことは間違いないと思います。短期的な結果だけを見て監督を変えていたら、2005年に成し遂げたJリーグ初優勝はもっと遅くなっていたのではないでしょうか?もしかしたら未だにタイトルを取れていなかったかもしれません。それくらい大きな判断だったと私は思っています。

 

クラブ・組織としての一体感、そして自分の判断基準を持ち、目先の勝利だけにとらわれなかったリーダーの存在。これが当時のガンバ大阪の強さの根底にあったように思います。

当然、優れた選手達がいたからこそ、リーグ優勝やACL優勝、ナビスコカップ(現ルヴァンカップ)優勝、天皇杯優勝など素晴らしい結果が出せたのですが、クラブ全体が円滑に機能することによって、選手達はもちろん、西野監督をはじめ私たちスタッフ陣も自分のプレー・仕事に集中できたからと言えます。

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次回は、ガンバ大阪での経験を基に、クラブ全体が円滑に機能することがどのようにチームへ影響を与えるかについて書いていきます。