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【ワダサカ論】vol.40
Vol.40 スロベニア留学
昨年からの新型コロナウイルス感染症の影響で、今でも海外との交流は制限されていますが、テクノロジーの発達によって話をするだけの交流であれば以前よりも容易になっています。私も師であるベルデニック氏と「ZOOM」を使ってサッカーの話をすることが多いのですが、昔のように通話料を気にせず、顔を合わせて通話できるのは本当にありがたいです。
私がスロベニアに留学した1990年代は携帯電話もまだ一部の人しか所持しておらず、基本的には家の電話に掛けるしかありませんでした。スロベニアで最初に住んだアパートには、電話が無かったので、毎回公衆電話まで行ったのを思い出します。電話がアパートに無ければ自分で電話の設置を申し込めばいいのではと思うでしょうが(私もそう思っていました)、当時のスロベニアは電話を置きたくても順番待ちの状態で、今の日本のようにすぐ電話が家に設置できるような状況ではなく、電話が欲しければ電話付きのアパートに住むしか方法はありませんでした。スロベニア人ですら、自宅に電話が設置されるのを何年も待っていたと聞きました。
話は逸れましたが、私はスロベニアへ留学し、コーチングスクールに通い始めました。私は渡欧したばかりで語学力も不十分でしたから最初は聴講生的な立場でした。当時、スロベニアは旧ユーゴスラビアから独立した直後ということもあり、スロベニア単体としてのコーチングスクールも始まったばかりでした。授業をしっかり聞いていても全く理解できない科目もありましたが(例えば運動生理学とか医学系の科目とか)、聴講生という立場だったので、語学の勉強と割り切って出席し続けました。
講義の中には、「現代サッカーの戦術」に関する授業もあり、当時最先端の戦術だった『ゾーンプレス』の考え方、トレーニング方法などを学びました。講義では、ゾーンプレスの基本的な原則や考え方を学び、同時に実技の時間で選手役として実際にゾーンプレスを行いました。今では『ゾーンプレス』は当たり前の戦術ですが、1990年代では従来のサッカー戦術論と考え方が大きく異なるところもあって、経験豊富な選手ほどこれまでの価値観が邪魔をして『ゾーンプレス』を習得するのに苦労したそうです。
『ゾーンプレス』の概念が生まれる前(1980年代前半)は、「①自分のマークする相手選手の位置を把握する②味方選手のカバーリング」というのが原則でしたが、『ゾーンプレス』の場合、「①味方との距離、位置を把握する②相手選手の位置を把握」という考え方でした。味方選手との距離を基準としたポジショニングを優先することで、選手間の距離を短くしたコンパクトフィールドを作り出すことに成功しました。この『ゾーンプレス』を採用して躍進したのが1980年代後半の“グランデ・ミラン”と呼ばれたサッキ監督率いるACミランでした。現代では『ゾーンプレス』とわざわざ呼ぶことは無いですが、選手間の距離を短くし、コンパクトに戦うチームは多いですよね。スロベニアのコーチングスクールで、当時最先端の戦術だった『ゾーンプレス』をチームに導入するプロセスを学ぶことができたのは幸運でした。
コーチングスクールで学んだ、戦術を選手に落とし込むプロセスや方法、ゲーム構成要素の分類、サッカーの運動能力・技術・戦術の定義、分類については、今でも当時の資料やノートを時々見返して自分なりに頭の中を整理するのに役立てています。