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【ワダサカ論】vol.37
Vol.37 『移籍』の意義
最近、2021年シーズンに向けた各チームのキャンプに関する記事をよく目にするようになりました。短いオフ期間を経て、今月末には再び長いシーズンが始まります。長いシーズンを乗り切るために、チームとしての目標を達成するために各チームから移籍情報もたくさん出ています。今回は『移籍』について書いていこうと思います。
Jリーグ開幕当初こそは移籍する選手が少なかったのですが、最近では海外リーグも含め、非常に積極的に移籍をするようになってきた印象です。選手達は短いキャリアの中で本当に様々な決断を迫られますが、『移籍』はその中でも大きな決断と言えます。
私もJリーグクラブで働いていたこともあって多くの移籍を見てきましたが、代表クラスの選手であっても、移籍して必ずしも上手くいく訳ではないということを何度も目にしてきました。
逆に移籍したことで、才能を開花させた選手もたくさんいます。
私が共に仕事した選手から挙げるとするならば、例えばガンバ大阪、FC東京等で活躍した丹羽大輝選手がその一人と言えます。
彼とはガンバ大阪で一緒に仕事をしました。彼は当時2年目の若手選手で公式戦のメンバーに入ることもほとんどなかったですが、チームの全体練習後にほぼ必ず自主練習に取り組んでいて、私もよく手伝っていました。彼は出場機会を求めて徳島ヴォルティス→大宮アルディージャ→アビスパ福岡と移籍を繰り返し、次第に出場機会が増やしていきました。アビスパ福岡在籍時には、チームキャプテン・選手会長としてJ1昇格にも貢献しました。そして2012年にガンバ大阪へ復帰し、その年は残念ながらJ2降格となりましたが、翌2013年にはJ2優勝、2014年には国内タイトル3冠達成にレギュラーとして貢献して、2015年には日本代表メンバーに初選出されるまでの選手となりました。
佐藤寿人選手も似たキャリアをたどった選手だと思います。
私が一緒に仕事をしたのはベガルタ仙台時代ですが、彼にとってはジェフ市原、セレッソ大阪に次ぐ在籍3チーム目でした。残念ながら2003年シーズンにベガルタ仙台はJ2に降格してしまいますが、翌2004年にJ2で20得点を挙げたことで注目され、2005年にJ1のサンフレッチェ広島へ移籍します。サンフレッチェ広島時代の活躍はここで書く必要がない程、皆さんご存知だと思います(サンフレッチェでは国内大会で450試合出場し、211ゴール)。
丹羽選手、佐藤選手に共通する点は、「若い時からどうすれば自分が試合に出ることができるか」、「どうすれば上達することができるか」を考え続けた点だと私は思います。移籍すれば誰でも成長できる訳ではありませんし、出場が確保されている訳でもありません。選手として成長していくために『移籍』を有効的かつ意欲的に行い、出場チャンスを掴み取って成長に繋げ続けたことで、自身の輝かしいキャリアを形成できたと言えるでしょう。
他にもそういった選手はたくさんいます。環境を変えることで選手が大きく成長することもあるという好例だと言えます。
その意味では、先週のワダサカ論でも述べた(vol.36参照 )ように高校年代での移籍も選手が成長する一つのきっかけになるのではないかと考えています。
良い選手が多くて困るという人はいません。
もっと魅力的なJリーグ、日本代表を求めるのであれば、より多くの育成年代の選手が試合出場のチャンスを掴むことができるシステムを構築していくことが必要なのではないでしょうか?
高校年代での移籍システムを構築していくことは決して簡単な事ではありませんが、私が子供の頃は日本代表がワールドカップに出ることは不可能だと思われていましたし、日本にプロサッカーリーグができるなんて想像もできませんでした。そんな不可能を可能にしてきた日本サッカーがより大きな目標・成長を掴み取るためにも、いつの日か育成年代でも「選手のためになる」移籍が実現することを願っています。